歴史を感じる道具類
■越前国府 〜古代から栄えた町〜

  越前市、旧武生は昔国府のあったところです。大和朝廷の国土統一が進み、高志(コシ)が大化の改新のころ「越国」となり、日本書紀には「越前国司」の文字が見えます。そうして7世紀末には、越前、越中、越後の三国が生まれました。その頃の越前の国は大きく、今の石川県の加賀、能登までを含んでいたようです。そして、その中心であったのが越前国府でした。ですから、中央から人のやってくる都であったでしょう。文化や新しい技術が伝えられた土地であったのです。
  源氏物語で有名な紫式部も、父とともに越前の国府に1年ほど住み暮らしました。
打ち刃物の技術が、箪笥作りなどにも生かされていく。


江戸時代に作られた車箪笥。堅牢な金具など武生の箪笥の特徴を今に伝えている

 室町・戦国時代には、朝倉家の府中奉行所がおかれ、織田信長や柴田勝家、豊臣秀吉、前田利家などが駐留しました。それだけ、越前の国の中央に位置していたと言えるでしょう。たくさんの人が出入りして、さまざまな技術が磨かれていったはずです。
  朝倉氏の遺跡からは、茶道具が見つかっていますが、それを作る職人が、大工から分かれていった指物師と呼ばれる人達です。そうした職人の技術が朝倉の府中奉行所があったところに流れていったのではないでしょうか。

  また、旧今立町には、紙漉が盛んであり、そのために必要な木工技術も整えられたに違いありません。さらに、河和田(鯖江市)には越前漆器の産地があり、旧武生には打ち刃物が産業として生まれています。

 江戸時代には、福井藩の付け家老として武生の藩主となった本田富正公が、町を整備し各地から技術者を呼び、それまで10戸だったうち刃物が増えていくようになります。さらには、三国から北前舟が入り、北陸道と交差する白鬼女の渡し(鯖江市)からさまざまなものが行きかうようになります。
 打ち刃物のための鋼や漆が入り、和紙や打ち刃物が売られていくようになります。また、今立郡からは漆掻きの職人が、武生の打ち刃物を行商し漆を集めてもいました。
  越前国府のあった旧武生はこうして考えると、古代から栄えてきた文化の中心地であったと言えるでしょう。
 
細やかな細工が美しい。

オリジナルを考えるのは大変な作業となる

確かな技術がなければ、越前指物とはいえない。

■越前指物 〜武生の木工〜

 旧武生の木工は、そうした文化的・技術的素地に恵まれ発達してきました。財力のある旦那衆が武生の地には多く生まれ、求められる木工品も技術的には高水準のものが求められるようになったのです。

  旧武生にはタンス町という通りがあります。江戸後期から家具の製造販売業者や建具商など木工の職人たちが集まった、武生の家具の中心地でした。「武生のタンスは2割は高い」と言われるほど、値も高いがされに見合うほど質が高いと言われていました。武生でタンスを仕入れることは憧れであったのです。そして、たくさんの人達か嫁入り道具を求めに賑わいました。
  また、女の赤ちゃんが生まれると桐の木を植えて、お嫁に出す前にタンスを作ってもらうなどということも行われていたようです。

 指物とは、釘を使わずに木と木を組み合わせて作る家具、建具、調度類のことです。その技法を指して指物と言います。そこで使われる組子は、建具を構成している細い部分で、たとえば障子の桟といわれている部分です。昔の神社仏閣に多く使われている技法で、旧武生には文化的にもそういう技術が求められ、発達してきました。
  越前指物は、武生の旦那衆によってよりいっそうの技術的進歩を遂げました。 武生(現越前市)は、文化水準も高く、経済的にも恵まれていました。そのためさらに高度なものが絶えず求められていたのです。それは、越前指物が今なお高い評価を受けていることからもうかがえます。

  指物の技術は年季が必要となります。普通のガラス戸の田の字を組み上げるまで4年から5年かかると言います。また、障子の中骨を作れるようになるにはさらに長く修行が必要だと言います。木と木をしっかりと隙間なくあわせる「仕口」が自分の手で作れるようになり、一人前とみなされます。そうした技術の裏づけがあって初めて、満足のいく建具を作れるようになるのです。
  それは、たとえば歴史のある西洋アンティーク家具が重厚で、その模倣であるアメリカのアンティーク家具がやはりどこか軽さを感じるのと同じようなものかもしれません。

  新しい製品をうみだしていくには、そうした蓄積が必要なのです。
  パズルのような細い木を組み上げていく技術もさることながら、それがどういう形になっていくのか最初から理解していないとを切ることも組み上げることも出来ません。ですから出来上がったものは芸術的な美しさを持っているのです。
  さらにオリジナルを生み出していくの は、センスと大変な技術の蓄積がなければ不可能でしょう それには、絶えず自分の腕を磨き、さらには時代にあった新しい感覚をも学ばなければなりません。

 ユタカ建商の、提案する新しい建具の形。それには昔ながらの技術が息づき、さらによいものを生み出そうとする、伝統の力なのです。

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