■越前焼きの歴史

 「越前焼き」は平安末期から続く日本六古窯の一つです。瀬戸(愛知県瀬戸市)
・常滑(愛知県常滑市)・信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)・丹波(兵庫県多紀郡今田町立杭)・備前(岡山県備前市伊部)などがあり、越前も含まれています。

 もともと縄文時代などでも焚き火などの野焼きで「土師器」(はじき)とよばれる土器は作られていました。古代の塩作りは壷などに海水を入れて煮て、結晶が出来たところで割るという方法がとられていましたので、壷など多く作られていたのでしょう。
  さらに古墳時代にはたたくと音がする「須恵器」(すえき)が作られるようになります。これは、山の斜面を利用した穴窯によって焼かれました。
  こうした穴窯のあとは、良質の土があるところで、国府のあった武生などを中心に県内各地に見られています。越前町宮崎村の窯はそれよりあと、平安時代中ごろのもので、丹生古窯郡は遅くまで制作を続けていました。これが「越前焼き」のルーツとなります。
  室町時代には越前町織田・宮崎村を中心とした「越前焼き」は北陸地方最大級の規模を持つようになります。海運によって運ばれ、全国各地から「越前焼」が見つかっています。

 「越前焼」の特徴は鉄分を多く含むため耐火度が高く、茶褐色に焼きあがります。壷・甕・すり鉢の3つを中心に作られたのが「越前焼」で、貯蔵容器、調理用具として使われました。また、甕は鎌倉時代から大型化します。また鎌倉末期・南北朝時代にかけて納骨思想の普及のためへら描文 刻文などの模様がつけられた骨蔵器としても使用されました。
  また「お歯黒壺」といって既婚婦人が歯に用いた鉄漿の小壷が数多く作られました。ろくろを用いないこの小壺は風流人などに好まれ、一輪挿しなどにも使われたそうです。

 一時期、「越前焼」は途絶えましたが、現在は多くの人の尽力によって蘇りさまざまな窯が生まれ、独自の製品を作り出しています。
  このホームページで紹介している土本氏のものは、古代の越前焼の良さを取り入れ、力強い作品を作っています。宇野氏の作品は、さらに独自のガラス化や独特の色合いなどが高い評価を得ています。
  茶褐色で素朴な「越前焼」は現代の名工たちによって、さまざま色・形を作り出し、新しい「越前焼」の世界を作り出しているのです。


セラミックアートセンターに展示されていた土本さんの作品。焼き〆にこだわっている素朴な皿。
越前焼は硬く、土も細かいためカビが生えにくく、生活用品に向いていると言う。


ユニークな器展から。
越前焼は古窯だが、独創的な作家も多い。
土本氏・宇野氏もまた、自分なりの信念と目を持った作家である。

ユニークな器展から。
セラミックアートセンターの入り口にある巨大な壷。こういうものを作る工法が越前の特徴の一つ。さらに大きなものもある。
 
 
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